6 夕陽の漫才師シリーズ@ 「湖上の漫才師」
           
                < 登場人物 >                
                    夕焼け 映 (35)漫才師
                         萌子 (33)その妻・相方
                     夕焼け 太郎 (55)芸能プロダクション社長  


--------------------------------------------------------------------------------

    名残り雪を染めながら、山々の向こうに夕日が沈もうとしている。
   
    草木が芽吹き、鳥たちが歌う春。
   
    そんな季節に逆らい、夕日とともに沈もうとする一組の男女が、一艘のボートに揺られていた。
   
    森に囲まれた、とある湖―。

    漫才師、夕焼け映(はえる)はオールを漕ぐ手を止めた。

はえる「やって来たんか?エサ。金魚に」

   向かい合わせに座っている相方、妻の萌子。

萌子「失敗やわ。どうせなら連れて来いばよかったわ」

はえる「なにを?」

萌子「金魚や」

はえる「金魚、道連れにしてどないすんね」

萌子「金魚は溺れんやろ。金魚の入水自殺、聞いたことないわ。ずっと一緒やったんやも、うちらの最期、看取ってもらいたかったわ」

はえる「取りに戻ろか」

萌子「なにを?」

はえる「だから金魚」

萌子「そこまでせんでも。・・・あんた、怖気づいたんちゃう?」

はえる「あほ言うな。お前と一緒におって、怖いもんなどあらへん」

萌子「あんた・・・」

はえる「そういえばとうとう名前付けんかったなあ」

萌子「名前て?」

はえる「金魚やて。何年おったんやろ」

萌子「6年やわ。ほら、京極ヘルスセンターの帰り。夜店で買うたんやない」

はえる「あん時はうけたがな。珍しゅうオヒネリが飛んできよった」

   萌子、少し俯いて、

萌子「あの晩、初めて泊まったんやし。あんたとこ・・・。それからずうっと一緒や」

はえる「・・・金魚も一緒。・・・6年か。早いのう・・・」

    立ち上がる萌子。

萌子「そっち行ってええ?」

    はえる、ボートの揺れを気にして、

はえる「座っとけ。俺が行く」

    萌子は尻をずらし、はえるを招く。

萌子「なんかな、向い合わしやと落ち着かんねん。職業柄やな」

    はえるはそっと萌子の肩を抱く。

はえる「お前が不憫で・・・。すまんの・・・」

萌子「そない言うの、よし。ちょっとも不憫やない。あんたと夫婦でしやわせや。ずうっと夫婦でしやわせやったわ。してから、こない夫婦で死ねるんやもん・・・」

     声も無くすすり上げる、はえる。

萌子「なんや、元気出さな。・・・もっとも今さら元気出してもなあ・・・」

はえる「・・・6年いうと何歳やろ・・・」

萌子「なにが」

はえる「せやから金魚」

萌子「6歳やろ」

はえる「20年生きたゆう記録があるいうさかい、20年が人間の100歳として・・・」

萌子「しょむない。それよか明日の梅田、うちらの穴、誰が埋めるんやろな」

はえる「それこそしょむない。いくらでもおるがな。お笑いブームやで。今ならどないな漫才かてうけまくるがな」

萌子「残念やなあ、これからゆう時に・・・」

はえる「しゃあない。俺らに限って、寄席に来はるのはお客はんよか、借金取りの方が多いんやからのう」

    真っ赤な夕日。二人揃って深い溜息―。

はえる「そないに悩んどって、なんで俺らに打ち明けてくれんかったんやろな」

萌子「もう金魚はええて」

はえる「金魚の悩み聞いてどないすんね。金魚やない。社長や。なにもかもほかして逃げる程、社長は苦悩してはったんや」

萌子「社長には足向けて寝られん。でも社長、どこにおるか分らん。どっち向いて寝たらええのん・・・」

はえる「これからぼちぼち、ようやっと恩返しが出来るかも、知れんのにのう」

萌子「そな言うても金融屋はんは待っとってくれへん。せやから、うちらの生命保険で・・・なんか言うた?」

    傍らの、春の満月が映る水面で、ぶくぶくと水の弾ける音がした―。
    
    はえるは萌子の肩を抱く。

はえる「あの社長に拾われなんだら、お前とこして夫婦になることもなかったんやろな」

萌子「あんた・・・」

はえる「俺な、あん時も、ここで死の思てた。せや、たぶんちょうどこの辺りや」

萌子「社長とうちがモーターボートで追い付いたら、あんた薬で朦朧としとったん」

はえる「いっぺんどっかで逢うただけやのに、社長よう俺のことなんか憶えとってくれはった」
 
萌子「口に指突っ込んで吐かせたんやで」

はえる「社長の指、えろうしょっぱかったわ」

    肩をすぼめ、吹き出す萌子。
   
    ―ふたたび水面で、ぶくぶくと飛沫が上がる―。
 
はえる「面倒見のええ人やからな」

萌子「気前もええで。良すぎる程や。せやから騙されて借金まで作って・・・」

はえる「同じ気前がええのでも、食い残しを与えるんとちゃう。おのれが食わんでもくれてまう人やった・・・」

萌子「あんまり褒めると、社長、そのへんから現れるんやないか?」

はえる「ノリのええ人やったからなあ」

    ふたりの背後、艫の下の水面が音も無く泡立ち、真っ黒いカボチャがぽかりと浮いた。

    満天の星空―。
    
    はえるは萌子を抱き寄せ、数粒の錠剤をその手の平に載せる。

はえる「寒ないか?いつまでこうしててもしゃない。そろそろ、な」
 
萌子「わかっとる・・・」

はえる「なあ、最後に、もいっぺん、せえへんか?」

萌子「なに言うとるん。旅館を出る前に3回も・・・。でも、・・・ええよ・・・」

はえる「あほ。ネタ合わしや。最後にもっぺんネタ合わししよ言うてんね」

萌子「なんや、そっちか。そないなことしてどないすんね」

はえる「ええやないか。お客はんようけ入れるつもりでやろやないか」

萌子「ほじゃ、ネタ振り、どないしよ」

はえる「年金でいこか」
 
萌子「年金年金て、ほんまにもらえるんかいな」
 
はえる「もろたら痒いでえ」

萌子「いんきんやろ、それ」

はえる「しかしなんやの、未納三兄弟てほんま」

萌子「ちょい待ちや、あんた。今どき時事ネタゆうのもどうかと思うで。うちらイマイチなの、ここら辺やないのんか?もっとシュールなのやらな」

はえる「シュールなあ・・・」

萌子「いっそコントに切り替えよか。夫婦漫才はようけおっけど、夫婦のコントは聞かんよ」

はえる「コンビ名も替えるか。夕焼け・もえる・はえる、ゆうのも今どきどやねん」

萌子「暮らしにくたびれた夫婦がおってな、湖に心中しに来はるねんよ」

はえる「うちら、まんまやないか」

萌子「なんとなく昔話とかしてて死にそびれてるんよ。せやな、会社が倒産したってことにしよか」

はえる「ほなら、借金まみれの、芽の出ん夫婦漫才でええやん」
 
萌子「それもろた」

    傍らの水面で、カボチャがぶくぶくと息をつく。

萌子「ボートの上で夫婦の会話。ここかなり引っ張りいるで。でもうちらの生活、そのまま並べてもどうにかなるやん」

はえる「金魚のエサ、フリカケにして飯食うとか」

萌子「それもろた」

はえる「インスタントラーメン、一晩ふやかしてから食べんねん」

萌子「食いもんばっかしやな。でも、その気になれば、脳みそ働くやん」

はえる「ハナはケンカで入って、仲直りしてしんみりと」

萌子「引くで、それは。ハナからしまいまでケンカで通したらええ」

はえる「最後は飛び込むんか?」

萌子「あんたなんかと死ねるか!ゆうて女が泳いで帰る。つまらんなあ・・・」

はえる「ケンカが派手やって、見物が集まる。で、心中どころやなくなる」

萌子「普通やなあ。もう一捻りやわ」

    後ろから湿りきった声で、カボチャが口を挟んだ。

夕焼け太郎「社長の土座衛門が、ケンカの仲裁に入るってのは、どや?」

    夫婦は思わず振り返り、「それもろた!」


    ――煌々たる満月――。
   
    ボートには、死にそびれたふたりと、死人がひとり。

    三人の周りを、無数の蛍が飛び交う。

    萌子、腰を抜かしたはえるを介抱して、「しっかりしいや、あんた」

    ところどころ腐敗した顔、ガスで膨張した腹―。水死体の夕焼け太郎は舳先に陣取る。

太郎「苦労を掛けたな。俺が意気地のないばっかりに―。すまん。この通りじゃ」

    はえる、身体を起こし、

はえる「まさか社長も、ここで身投げしてはったとは・・・」

太郎「お前たちが気懸かりで、よう死に切れなんだ。ほでから見い、中途半端なこのざまや」

萌子「中途半端て・・・。じゅうぶん立派な腐乱死体ですやわ、社長」

    腐り掛けた顔を歪め、太郎は腹を摩る。

太郎「ああ、それにしても腹が張る。なんぞ尖ったもんないか?」

はえる「どうでっか?これ」

    はえるに差し出されたボールペン、受け取りざま太郎は、自分の太鼓腹に突き刺した。
   
    音を立てて噴き出す、メタンガス。

    「くっさーーっ!」――のけぞる夫婦――。

萌子「ごほごほ、おえっ。トンボリ飛び込んでも、これほどは眼に来んで」

はえる「ごほごほ、おえっ。で、どないしはるんでっか?どっちゃにしろ一旦、葬式上げなしゃあないですやろ」

太郎「ごほごほ、おえっ。葬式て。こないピンピンしとるがな」

萌子「ごほごほ、おえっ。ピンピンゆうより、グズグズですやん」

太郎「ごほごほ、おえっ。わしゃ、おのれにカネは掛けん主義や。おのれの葬式なんぞよう出さん」

はえる「ごほごほ、おえっ。なんぼか腐れ掛けとるとはいえ、それだけでもよう、残っとってくれはりましたな」

太郎「ごほごほ、おえっ。コンビニ弁当が主食やさかいの、幸か不幸か、普段から防腐剤漬けの体質になってまんねん。ごほごほ、おえ――っ」

    「ほんなことより――」太郎は骨の剥き出た人差し指を一本立てて、

太郎「どや、トリオでデビューせえへんか?」

はえる「無茶、始まったわ。その格好ででっか?」

太郎「掴めるでえ!」

はえる「そ、そうだっかなあ・・・」

太郎「お前たちのネタ合わし聞いとって、どっかん、来るもんがあったんや!ゾンビコントや!」
  
はえる「ゾ、ゾンビコント・・・」

太郎「せや!ゾンビコントや!吉本のガキどもに、ひと泡噴かしたろやないか!」

はえる「吉本のガキどもに・・・」

太郎「いっぺんくらい恩返ししとかな、死んでも死に切れんで」

はえる「それもそうでんなあ・・・。よしゃ、乗りまひょ!ほじゃ急がな。社長が腐り切ってまう前に。のう、萌子」

萌子「あんた!」

はえる「もっぺん人生やり直しや!ええな、萌子!」

萌子「あ、あんた・・・。うれしい・・・。よう言うてくれたわ・・・。見い、あんた、きっと一緒に喜んでくれはっとんねん。ほれ、蛍が、蛍があんなに・・・」

太郎「今じぶん、蛍なんぞ飛ぶかいな!オーブや。霊魂や。人魂がわしらのコントを観に、集まって来とんのじゃ!」

    「ひ、人魂!ぞ〜〜っ、ぶるぶるぶる・・・」抱き合って、夫婦は震え上がる。

太郎「ええか!死んだ気でネタ合わしじゃ!3人で天下取ったろやないか!」

はえる・萌子「社長!社長の夢、叶えさしてもらいますわ!」

   満月の下、かくしてネタ合わせは始まった――。
   
   3人の決意を讃えるかのように、無数のオーブが湖上を飛び交っている――。

                                            <了>



--------------------------------------------------------------------------------

夕陽の漫才師シリーズAへ

トップへ