4 蛆虫は知っている
<登場人物>
夢野久作(48〜60)
春子(46)
平井太郎(42)
--------------------------------------------------------------------------------
どんよりと低い空、岩礁の海。
コートの襟を立て、打ち寄せる波を眺める、夢野久作と妻の春子。
春子は波に遊ぶカモメの群れを指差し、
春子「すごい。カモメ、あんなに」
夢野「この海は、そうか、新婚旅行以来だ」
春子「あの時に飛んでたカモメ、いるかしら。ふふ、いるはず、ないわね」
夢野「いたとしても、僕たちのことは憶えちゃいないだろう」
春子「・・・ねえ、ここで別れましょう」
足元の砂を波飛沫が濡らす。
春子「飽きちゃった」
夢野「どうして。始まったばかりじゃないか」
春子「意味ないじゃない。日本一周なんて」
夢野「だから・・・、その意味を探しにー」
春子「一人で行って。あたし、新幹線で帰る」
夢野「君がいないと・・・」
春子「あなたっていつもそう。誰かが一緒じゃないと駄目なの。そのくせ会社をやめる時なんか、相談もしてくれない」
夢野「それは・・・」
春子「相棒が欲しいなら、他の人を探して!あたしはもう付き合えない!」
踵を返す春子。追い縋る夢野。
ふたりの頭上を二羽のカモメが飛び去る。
夢野「春子、きみが必要なんだ・・・」
夢野は後ろから春子の肩を抱き頬擦りをする。
夢野「ねえ、春子、カモメがなぜあんなに群れているか知ってるかい?」
春子「小魚を漁ってるんでしょ」
夢野「大概はね。でも時々・・・、打ち上げられた溺死人を・・・」
春子、唾を飲み込む。
夢野「啄ばんでいる事もあるそうだ。
春子、眼を剥いて振り返る。
春子「あたしをカモメの餌にするつもり?」
低い空をカモメが飛び交う。
春子の首に回した腕に夢野が力を込めると、春子の眼球はつるりと飛び出した。
夢野「餌なんかにするもんか。春子、君は僕とずーっと一緒さ」
黒い海を臨む国道。――走り抜ける一台の4wD――。
夢野、ステアリングを繰りながら、
夢野「さあ、春子、これからどっちへ行こう。西がいいかい?東がいいかい?君は海が好きだから海岸沿いを走ろうね」
助手席にはスーツケースに押し込められた、春子の死体。
首がこちらを無理な形で向けられている。
十数年後――。
夜行列車の車内――。
四人掛けのボックス席に、ひとり平井太郎――。
過ぎ行く暗い窓外を、ぼんやりと眺めている。
他に乗客の影は無い。
膝の上の新聞に、
「女子中学生、消息不明2ヶ月」とある。
空のビール缶を少し啜って、平井は赤いネッカチーフをしごき緩める。
車内通路―。ゴロゴロと小車を転がす音―。
大きなスーツケースを曳いて、白髪の紳士が歩いてくる。
紳士はスーツケースを隣のボックス席に突っ込み、平井に問い掛けた。
夢野「構いませんか?」
平井は会釈して、向かいの席を促した。
夢野「少々人が恋しくなりましてな。となりの車両にも誰も乗っとりません」
平井は返事の代わりに新聞を畳んだ。
夢野「旅行ですかな?」
平井「ぶらりと。一週間ばかり空いたもんで」
夢野「いいですな、それくらいが。旅というものは長ければいいと言う訳でもない」
平井「帰るのが億劫になりますからね」
夢野「たとえ億劫になっても、帰るという目的が生じるところに、旅の味があるのですよ」
夢野は、ウイスキーのポケット瓶を二本取り出し、一本を平井に勧める。
夢野「夜行列車ではウイスキーと決めています」
数匹のハエが、車内灯に体当たりを繰り返す。
ポケット瓶を合わせるふたり。
夢野「ときにお仕事の方は?」
平井「業界も頭打ちで。出版関係なんですが――」
他愛ない世間話で時を過すふたり。
夢野「贅沢を言わなければ会社勤めもなかなかおつなもんですよ。まあ、辞めて初めて気が付くのでしょうが」
平井「と言うと・・・」
夢野「上司とやっちゃいましてね」
平井「短気は損気の口ですか?」
夢野「とくに後悔もしていませんが、会社を辞めたついでにマイホームも売っ払いました」
平井「で、そのまま旅の空・・・?まさかねえ」
夢野「二十年、になりますね」
平井「おひとりで?」
夢野「女房と一緒でした。ひと月程はね」
平井「奥さんとはどうして・・・?」
夢野「当初は4WDのね、2千CC。車だし、冬だったから持ったんです」
平井「はあ・・・?」
夢野「世の中、何が辛いと言って、帰る場所の無い一人旅ほど、あなた――」
ハエが車内灯に体当たりを繰り返す。
適当に酔いの回ってきた二人。
夢野「旅は道連れ、世は情け」
平井「奥さんと別れてから、ずっと一人で?」
夢野「そんなことはない。いつもパートナーは欠かしたことはありませんよ」
平井「くんくん。ん?何か臭いませんか?」
夢野「いや、久しぶりにお喋りをしたので酔いましたな。ちょっと失礼」
立って行く夢野。
その後ろ姿を確認し、平井はスーツケースに鼻を寄せ、のけぞる。
チャックを開く。
中からハエの大群が渦を巻いてうなり出る。
慌ててチャックを閉じる平井。
遠くでドアの閉まる音。
平井は急いで席に戻り、眠った振りをする。
ハエを気にしながら夢野が帰って来た。
席に座り、顎でスーツケースを示し、
夢野「実は私、干物の行商を営んでまして。ん?。ねえ、ちょっとあんた」
平井「ぐ〜・・・」
夢野はスーツケースに眼を戻し、いとおしそうに摩りながら、
夢野「この子とも、お別れか」
突然立ち上り、平井は揺れる車内を駆け出した。
垂れ流しの列車のトイレ。
風が吹き上げるその便器を抱え、平井は吐きまくっている。
平井「くそォ、あのじじい、なにを飲ませやがった・・・」
背後のドアが開き、平井の背中に、少女の腐乱死体が覆い被さった。
絶叫する平井。
夢野が見下ろしている。
夢野「今ごろ吐いても遅いんじゃないかな?」
車内灯にハエの群れが渦を巻く。
闇の山間を、何事もないように走り続ける列車。
夢野の足元に、痙攣する瀕死の平井。
夢野は便器の中に少女の腐乱死体を押し込んで、モップの柄で力一杯突きたてる。
便器の中で、肉が削がれ骨が砕け、蛆虫だらけの頭部がぐずぐずになっていく。
息を切らし、汗を迸らせ、
夢野「お前さんとは・・・どこで会ったんだっけ・・・。うん、奥羽本線だった。プチ家出とか抜かしてたが・・・、さぞかし親御さんも・・・心配したろうな・・・」
夢野はハエを追い払いながら、スーツケースを曳いて来る。
元の席に戻り、ウイスキーを一口呷った。
脇に置いたスーツケースを撫でながら、
夢野「旅は道連れ、か・・・。あんたは何人目のパートナーになるんだろうね・・・」
スーツケースから平井の片腕がこぼれ、赤いネッカチーフを掴んでいる。
一匹の蛆虫が、そのネッカチーフからぽろりと落ちて、のろのろ床を這い始めた―。
<了>
--------------------------------------------------------------------------------
トップページへ戻る