3  逢うときはいつも死人
                     <登場人物>
                        佐野 洋(45)
                         倉井ひとみ(35)
                          バスの運転手・渡し舟の船頭


    樹海の狭間のバス停に、巡回バスが停まった。
   
    暗い田舎道に僅かな乗客を降ろすと、再びバスは走り出す。

   
     バスの車内に残った客は、二人だけ。
    
    最後部の座席の両端に、倉井ひとみ、佐野洋。

    ひとみはぼんやりと窓外を眺めている。
    
    暗い外の景色から、車内の向こう端の佐野にピントが合う。
 
    ぶつかる視線―。慌てて眼を逸らすふたり。佐野の方もこちらを気にしていたようだ。
 
    窓外は真っ黒な森。街灯だけが過ぎて行く。
    
    蛍が一匹、ひとみの鼻先を飛び、開いた窓から暗闇に消えていった。

車内放送「次は樹海入口。樹海入口です――」

    ひとみの少し震える指先がブザーに伸びる。――咎めるように運転手のアナウンス。

運転手「えー、
自殺の方はこちらで降りると便利です―」  

    「てか?」と運転手は付け加える。ブザーに触れたまま、ひとみの指は固まる。
    
    それも一瞬のこと。
     
    その指を解凍するかのように、バスが急ブレーキを掛けた。
    
    反射的にひとみは振り返り、リアガラスの向こうに眼を凝らす。
    
    街灯の下、親鹿に子鹿が走り寄っていくのが見える――。

    ふたつばかり、空ぶかしを残し、バスは走り出す。

    スピーカーから運転手の独り言。

運転手「ふう、気を付けろよォ。お母ちゃんを泣かせるなよォ・・」

    窓から顔を離し、正面を見詰めるように座り直すひとみ――。その足元から缶ジュースが転がった。
    
    佐野は身を伸ばし、缶ジュースを拾い上げ、ひとみに手渡す。

佐野「まるでサファリパークだね」

    少し微笑んでお辞儀を返すひとみ。

    スピーカーを通して運転手の鼻歌が聞こえてくる。

運転手「明日という字は、明るい日と書くのね〜〜」

    窓ガラスでまた視線が合うふたり―。今度は逸らさず、にこりと微笑み会う―。
    
    佐野は向き直ると座席の中ほどまで移動し、ひとみの手から缶ジュースを取り、その栓を抜く。
    
    再び缶ジュースをひとみに握らせて、

佐野「どこで降りるつもり?きみ、乗車して、もう三順目だろ」


車内放送「次は日の出食堂前、日の出食堂前です―」

佐野「降りよう。もう乗り飽きたろ?」

    ひとみは伏し目がちながら、大きく頷いた。

    佐野はブザーに手を伸ばす。
    
    ひとみは膝の上の薄い封筒を静かに破き、車窓から風に委ねた。


    そのとき突然、バスが蛇行運転を始めた。右へ左へ車軸を振る。車体が軋む。
 
    スピーカーを震わせて、運転手が叫んだ。

運転手「け!ばかばかしくてやってられっかい!」

    「危ない!」ひとみと佐野は折り重なって、座席の背凭れにしがみ付く。

ひとみ「きゃーーっ!」

佐野「ちょ!ちょっと、運転手さん!」

運転手「死にてえ奴ァ、直接あの世まで乗っけてってやるぜ!」

    よろめきながら運転台に駆け寄る佐野。

    あろうことか、運転手はハンドルを足で繰り、両手で一升瓶をラッパ飲み。

佐野「うわっ、飲んで運転してるのか!」

    「あったりめえよ!」と運転手は真っ赤な顔で振り返る。

運転手「毎晩毎晩遅くまで、暗えツラ提げた自殺志願者を乗っけてよ、飲まずにワッパなんか握れるかい!」

佐野「ちょっと、停めろ、停めなさい!」

運転手「なに言ってやがんでい!そんなに死にてえなら付き合ってやろうじゃねえか!そらよっ!」

    運転手は一升瓶を置くと、ひときわ大きくハンドルを切った。バスはガードレールを飛び越えて――、

    闇の断崖をジャンプした――。

    「きゃーーっ・・・・」「あーーーっ・・・」

    ひとみと佐野の悲鳴を残し、バスはまっ逆さまに樹海の奈落に落ちていった――。


         −2−

    淋しげな川原である。
    
    辺り一面ススキと葦で覆われ、川の向こう岸は霧がかかって見えない。

    ススキを掻き分けて男が歩いて来る。

佐野「確かこの辺りだよな・・・」

    白い浴衣姿の佐野は心細げに周囲を見渡す。

    ススキの中に古ぼけたベンチを見付け、端の方に腰掛けた。

    どんよりと低い空、カラスの鳴き声。

    ふと気付くと向こう端に、いつの間にか、やはり同じような白装束の女――。

    びくりとする佐野に、顔を向けることもなく女はお辞儀をする。


佐野「変だな。前にもこんな風に座ったような気がする。随分昔に・・・、いやそれとも、つい最近・・・」

    女は俯いたまま―、「バスの中で・・・」と、かすれた声―。

佐野「そうか、思い出した。樹海の路線バスだ・・・。なんだかきみの様子が気になって、ぼくはバスを降りることができなかった・・・」
  
    ひとみは少し顔を向けて、

ひとみ「すみません。あたしのせいで・・・。あたしを気遣ってくれたばかりに・・・」

佐野「お互い、仏になった身だ、恨み言はよそう。それに不思議に未練も薄れるもんさ。尤もここへ来るまで、ぼくも十日ほど迷ったんだが・・」

    ひとみは膝の辺りを撫でながら、


ひとみ「あたしも、左足がなかなか見付からなくて。でも四十九日も過ぎたし、仕方なく・・・」

    膝から先の無い、ひとみの左足。

佐野「あっちじゃ、さほど不便でもなかろう」

    言った後、慰めにもなっていないことに気が付き、佐野は唇を噛む。

ひとみ「・・・どうして、あたしのことなんか・・?」

佐野「僕の妹もね、あの樹海で発見されたのさ。生きていればきみと同じ位の年回りだ」

ひとみ「・・・事故で?それとも・・・」

佐野「ひとりで悩みを抱えてたのかと思うとね・・・。話しを聴いてやらなかったのが悔やまれて」

     霧の空を仰ぐ――。どこやらでか、嘲るようにカラスが啼く。

佐野「それにしても、あの運転手だ!」


ひとみ「いつも飲酒運転だったんでしょうか」

佐野「常習だろうね。とんでもないバスに乗り込んでしまったよ」

ひとみ「あたし・・・、樹海に入って自殺しようと思っていたんです・・・」

佐野「やっぱり・・・」

ひとみ「でもあなたが声を掛けてくれたので・・・」


佐野「思い留まる気になったんだね。良かった。自殺者は成仏できないって言うからね」

    ひとみは激しく首を振り、

ひとみ「見ず知らずのあなたまで、巻き添えにしてしまって!」
     
    ――「きみ・・・」

    佐野は身体を寄せ、ひとみの肩を抱こうとしたが、自分の手首が無いのに気付き、腕を引っ込めた。

    霧が動いて人の気配が近付いて来る――。

    ――「明日という字は、明るい日と書くのね〜〜・・・」

    赤ら顔の船頭が、ススキの中から現れた。

    丸首シャツに半纏を羽織っている。

    首のタオルでおでこを拭い、

船頭「待たせちまったな。いやー、悪い、悪い」

    顔を見合わせるひとみと佐野。

船頭「馴染みの台がつい気になっちまってよ。ひっく」


佐野「馴染みの台?」

船頭「出ようとした矢先に、フィーバーしやがったのよ。ひっく、うい〜」 

    訝しげに見上げるふたりに、船頭はタコだらけの手の平を突き出し、

船頭「
じゃあ、六文ずつ、いただこうか」

ひとみ・佐野「え?六文、ですか・・・?」

船頭「ういっ、渡し賃だよ。船賃。乗船代。ひっく、これから渡し舟に乗らなきゃならねえんだろう?」

佐野「渡し舟って・・・」

船頭「通称、六文銭とは言うが、ひっく、いくらでもいいんだよ。頭陀袋に入ってるだろ。ひっくうい〜」

佐野「あ、ああこれか」

    佐野は首から提げた頭陀袋を探る。

船頭「そっちの姉ちゃんもだ。うい〜ひっく・・・かあ・・・」



    川面の葦をそよがせて生温い風が通って行く。

    三人を乗せた渡し舟は、飛沫もたてずに霧の中を進む。

    ――何という川だろう・・・。

    佐野は自分に問うが答えが出ない。――「知っている筈なのに・・・」思い出せない――。

佐野「・・・向こう岸は遠いんですか?」

    櫓を漕ぎながら、船頭は、

船頭「十万億土と言うくらいだからな、ひっく。しかし時間にすりゃ僅かなもんよ。ういっ」


    佐野、少し躊躇いつつ、

佐野「船頭さん、もしかして酔っ払ってないですか?」

船頭「飲み友達ってのは・・・、」

    船頭は櫓を繰る手を止め、空を仰ぐ――。

船頭「つくづくお節介なもんだぜ。ひっく」

佐野「はあ・・・」

船頭「俺が息を引き取る間際だ。ひっく。お前の好きな酒だぞって、コップ酒を呷らせた奴がいるのよ」

佐野「・・・・末期の水が、つまりコップ酒だったわけだ」

船頭「おかげで俺ァ、地獄の果てまで酔っ払いってこった。報いと言やあ、報いだな、ひっく、ういっ」


    佐野をちらりと窺ってから、ひとみが口を開く。

ひとみ「このお仕事、長いんですか?」

船頭「ひっく、なあに、まだ三日目よ。しかも臨時雇いだ。こんな仕事、今どき誰もやりたがらねえからな」

    言って、再び船頭は櫓を漕ぎ出した。

佐野「なんでまた・・・」

船頭「娑婆でも似たような仕事をしてたのさ。うい〜。ど田舎の路線バスだがよ。しかしよ、笑っちまうぜ。人様を乗っけて、酔っ払い運転はねえよな・・・」

    ひとみと佐野、思わず顔を見合わせる。

船頭「客がいちゃもん付けやがるんで、ちっとんべ脅かすつもりが、手元が狂っちまってよう」
   
     固唾を飲み込むひとみと佐野。

船頭「――バスは崖からまっ逆さまよ。ひっく、うい〜、か!」

ひとみ・佐野「・・・また・・・こいつかよ・・・」


    櫓を軋ませて、渡し舟は葦の繁みを進み――、

船頭「明日という字は、明るい日と書くのね〜〜・・・・・・」

    船頭の歌声とともに、やがて霧の中へと消えて行った――。

                                                 <了>

トップページへ戻る