2 ミイラの命乞い <登場人物> 博物館館長(65)
強盗(35)
ミイラ( )
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ある博物館の、ある夜のできごと――。
館中央の一角に「古代エジプト展」のコーナー。
壺や農具、壁画の欠片などに混じって、棺に納められた一体のミイラが展示されている。
閉館後の暗い館内である――。
靴音が響き、人影が現れた。
この博物館の館長だ。
館長がミイラの鼻先に差し掛かった時、ミイラが包帯の下の口を開いた。
ミイラ「最後の夜だな…」
聞こえぬ風に、通り過ぎようとする館長。
ミイラ「よう、館長、シカトはないだろ」
足を止める館長。
その背中にミイラが話しかける。
ミイラ「人がせっかく定年退職のお祝いをだな―」
館長は仕方なさそうに向き直って、
館長「お前さんに祝ってもらう義理はないよ」
取り付く島を得て、ミイラは少し笑いながら、
ミイラ「まだ怒っているのか?大人気ないな」
館長「怒っちゃあいないが、お前と話す気もない」
ミイラ「長い付き合いなのに連れないな。今夜でお別れなんだ、置き土産にひとつ聞かせてくれよ」
館長「だから、そんな義理などないと言ったろう」
ミイラ「なあ、ミイラはどうしたんだ?」
館長「ふん、ミイラはお前じゃないか」
ミイラ「本物の方だよ」
館長「ゴミに出したよ。普通ゴミでな」
ミイラ「ひでえな。買い付けに何千万も掛かったって聞いたぜ」
館長「それは宣伝文句だ。現地に行けばあんなものゴロゴロしてるよ」
踵を返し、「じゃあな」と行き掛ける館長。
ミイラ「待てよ、なあ、俺をミイラにするのに随分と手間も掛かったろう。それ程の意味があったのか?」
館長は少し首を傾げ、
館長「…さあな。俺にも分らん。お前にはいくらでも時間がある。俺の代わりに考えてくれ」
ミイラ「待てったら。もうひとつ。…その、なんだ、奥さんは…、あんたの奥さんはどうしたんだ?」
館長「妻か…。お前がそんなにべらべら喋れるのも、脳みそと舌の根っこを残してやったからだ。有難く思え。あばよ」
ミイラ「殺っちまったのか…?やっぱりな…」
館長「もう顔を会わせる事もないだろう。元気でな」
言葉を継げないミイラ。
館長の姿は物陰に消えてゆく。
ふたたび館内に静寂が戻った。
ふとミイラが、垂れていた首を、少し上げた。
ミイラ「もう会うこともないって?へ、そうでもなさそうだぜ」
「ぎゃーーっ」
悲鳴とともに乱れた靴音が轟き、転がるように館長が、ミイラの足元に倒れ込んで来た。
館長「た!助けてくれっ!」
追って来た黒ずくめの男が、青竜刀を打ち振い、叫ぶ。
強盗「命こいしても、たれも来ないよ。そのヒマあたら、カネたしなさい!」
館長にしがみ付かれて、ミイラの膝の辺りの包帯が千切れる。
館長「こんなところにカネなどあるもんか!」
強盗「日本人、命よりカネたいちか。ぱかなやつら」
館長「カ、カネが欲しいのなら、銀行でも襲えばいいだろう」
青竜刀を突き、強盗は館長を立たせ、
強盗「日本人、二千年、中国人、四千年、なめたらあかんよ!」
襟首を締め上げながら、強盗は館長を脅しつけた。
その強盗の背後で、ミイラの双眸が見開かれる。
猿臂を伸ばしたかと思うと、ミイラは強盗の首を鷲掴みにし、そのまま宙高く突き上げた。
ミイラ「だったらエジプトは六千年だぜ!」
強盗「ぐあっ!なにするか?はなせ!」
館長は開放されてへたり込む。
その鼻先に青竜刀ががしゃりと落ちる。
目を剥いて、強盗は叫ぶ。
強盗「苦し!はなせ!このやろ!」
ミイラ「館長、最後の仕事だ。こいつもミイラにしてやってくれ」
ミイラは徐々に力を加えてゆく。
泡を吹き、もがき苦しみ、強盗の両足は宙を蹴る。
強盗「ぐ、ぐふう…」
ミイラ「見ろよ館長、二十年前、俺もこうだったんだろ?そろそろ目ン玉が飛び出し、血の混じった鼻水を垂らすんだ」
腰を抜かしたまま、肩で息をつく館長。
ミイラ「気をつけろ、小便をするぞ」
痙攣する強盗の両足。
靴から小便が溢れ、床を流れる。
ミイラ「臭うな。糞も漏らしやがった」
強盗「ぐ、ぐ…ぐう…」
ミイラ「もう少しだ。苦しいのも、もう少しで終わりだ」
ぼき、という鈍い音。
ミイラ「喉仏が砕けた。これで楽になる。よく我慢をしたな」
断続的に痙攣する強盗の身体。
館長が搾り出すように言った。
館長「今になって分ったよ、お前さんをミイラにした訳が。その時は罪滅ぼしのつもりだったのだが、違ったな」
ミイラ「女房を寝取られた復讐だろう。殺すだけじゃ飽き足らなかったのさ」
館長「そうだ。お前のような奴は晒しものがお似合いだ。だからミイラにしてやったのよ!」
ミイラが手を緩めると、強盗の死体は飛沫を上げて小便溜りに転がった。
ミイラ「奥さんを、奥さんを愛していたんだな」
館長「多分、な」
ミイラ「教えてくれ。奥さんは…、ミヨコはどうなったんだ?なあ、頼む、教えてくれ!」
館長「ふ、ふ、ははは…」
ミイラ「笑うなら笑え!なあ、ミヨコ、ミヨコは…」
館長「二十年も一緒にいさせてやったのに、気が付かないとはな」
ミイラ「一緒に?なんだって?」
館長「お前のその棺桶の蓋だ。よく見ろよ」
ミイラ「蓋?蓋だって?」
傍らに立て掛けられた、革張りの棺の蓋――。
その表面に女の顔が浮かび上がる。
ミイラ「ミヨ、ミヨコ…?ミヨコ!ああ、これほど近くにいたのに、気が付かないとは…!すまなかった。ああ、愛しいミヨコ…」
立ち上がった館長は肩で笑いながら、展示品のランプの油を床に撒き始めた。
ミイラ「おい、なにをしている。よせ」
館長「これでお前も成仏できる」
ミイラ「気でも変になったか。やめろ!」
館長「やはり全てを清算するべきだな。そうすれば俺も楽になれる…」
館長がマッチを摺った。
炎が走る。
ミイラ「正気か?おい!た、助けてくれ!」
館長「死人が命乞いをしてどうする」
ミイラ「俺はこのまま、ミヨコと永遠に…」
館長「ばかめ、そうはさせるか!」
――燃え上がる炎――。
館内に響き渡る、館長の高笑い――。
そして、ミイラの悲鳴――。 <了>
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